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東京慈恵医科大学同窓会

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2018年02月25日 定年退任にあたって 泌尿器科学講座 岸本 幸一

 高校3年まで野球小僧で進路に迷ったとき、父が『医者は者』だけど一生の内に何人かの人を救えると教えてくれました。この言葉に奮起し、昭和46年沖縄からパスポートを持って上京しました。下宿先が徳田忠昭病理学教室教授(昭和43年卒)の実家で、徳田先生の背中を追って昭和47年慈恵に入学しました。泌尿器科を専攻した理由は、故南武教授退任記念講義に感銘したからです。南武先生が院長であった国立西埼玉中央病院で医師としてスタートしました。南先生から直接臨床指導は受けませんでしたが、『医者は者ではない師』だと諭され医師としての一生の教訓となりました。
 昭和55年泌尿器科教室に入局。当時、術後の抗菌剤投与に対する指標がなく漫然と長期投与がなされていました。町田豊平教授から、抗菌剤予防投与の基準を定めるようにと言われ、昭和59年国立王子病院に出向、臨床検討を行い博士論文としてまとめました。一度退職しましたが、平成6年大石幸彦教授に解剖学的手術学を勉強に来いと言われ復学しました。平成12年慈恵柏病院赴任後、手術をビデオ撮影し鏡視補助下少切開手術の開発に努めました。並行して放射線科原田潤太教授と共に経皮的腎癌凍結治療を開始し、凍結治療群13例と腎部分切除群23例を八年間経過観察しその成績が認められ平成23年に保険収載を勝ち取りました。また、柏病院久保政勝院長のもとで平成20年から副院長として柏病院整備事業に関与できたことは誇りに思っています。父がコザ病院(現沖縄県立中部病院)附属看護学校で終戦直後から24年間教鞭を執っていた事を最近知り、慈恵柏看護専門学校の校長で定年をむかえられたのは不思議な縁だと思っています。教授就任の際、頴川晋主任教授と共に日本一の泌尿器科教室、慈恵医大柏病院を千葉県一の病院にと誓いましたが、少しでも役にたてたのではないかと思っています。最後に、本学のますますの発展と皆様のご活躍祈念しております。

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