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東京慈恵医科大学同窓会

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2019年07月25日 学祖・高木兼寛先生 生誕170年記念講演会

平昌冬季オリンピックスピードスケート
金メダリスト 小平奈緒選手(相澤病院所属) 結城匡啓コーチ(信州大学教授)

 学祖高木兼寛生誕170年記念講演会が令和元年6月3日開催され、平昌オリンピック・スピードスケート500mの金メダリスト・小平奈緒選手と名伯楽・結城匡啓コーチが、講演会と座談会に招へいされた。小平選手は相澤孝夫君(昭48)が理事長を務める相澤病院所属で、相澤君のご尽力でこの講演が実現した。
 学祖高木は、栄養とともに国民の健康増進・維持にたいする運動の重要性についていち早く着目していた。その後の本学を中心とする日本体力医学会の設立など、現在まで連綿と体力・スポーツ医学を重視する伝統として高木の精神は受け継がれている。今後の本学とスポーツ・体力医学、栄養学に対する取り組みを考える上で、小平選手、結城コーチとの座談会は短い時間ではあったが、有意義なものとなった。
 小平選手によればすでに2歳にしてスケート選手になる決心を固めていたとのことである。信州大学在学中から結城コーチとともに試行錯誤しながら科学的トレーニングを積み重ね、試合で敗北を重ねても、それを糧にして成長を続けているのは強靭な精神力が備わっているからである。しかし、その原点は何なのだろうか?結城コーチによれば、試合に負けた時の小平選手の前向きな姿勢は、むしろ落ち込んでしまうコーチを勇気づけてくれたとのことであった。ハードトレーニングを繰り返すばかりでなく、負荷の弱い基本トレーニングを増やしてからの方が記録は伸びたこと、オランダ留学の体験からビタミンDの吸収を高めるオイルの組み合わせを食事に取り入れていることなど、スポーツ科学・栄養科学の両面からやるべきことはある、と選手もコーチも研究者としての興味が尽きないようであった。オリンピックに勝利した現在でも、未だ“挑戦者”としてモチベーションを保ってトレーニングを継続しているのは、スケートを楽しんでいた幼少期の原風景とともに、あくなき科学的探求心があるからだと感じた。
 そして、小平選手は、「ライバルは蹴落とす存在ではなく、お互いを高めあう存在である」と語った。李相花(イ・サンファ)選手との友情は、スポーツの世界に咲いた“一輪の花”として長く記憶されるであろう。
(松浦知和記)

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