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東京慈恵医科大学同窓会

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2013年10月25日 論壇 「驕りと誇り」(昭50)田口芳雄

 大学病院は相変わらず医師不足に悩まされている。労働条件や診療対価の低さ、患者期待権と権利意識の増大、医療訴訟や院内暴力の増加、初期臨床研修制度発足に伴う医師の偏在など多数の要因が負の連鎖を形成しているようだ。そもそも医師の絶対数が少ないのである。どうすれば医師不足を乗り切れるだろうか。一つの解決策は偏在している医師を適切な配置にすることだろう。とはいえ、歴史的に明治以来、国は適正な医師配置という考えは微塵もなく、この重要課題は大学医学部と医局という閉鎖社会に丸投げされた。その結果、医療界には奇妙な特権意識が生まれた。しかし、この時代の医療人は良きにつけ、悪しきにつけ、プライドを持っていた。実は驕りとも言えるこのプライドが医師を大学医局に引き止めていたのであり、医師は封建社会の作法に従い、言われるがまま病院に派遣されていたのである。ところが、手術患者を取り違えるなどの医療事故が続いて、それまで燻ぶっていた社会の不満が一機に爆発し、医師のプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。その結果が負の連鎖の形成であると筆者は考えている。そうであるならば、プライドの復権が正の連鎖に結びつくはずである。しかし、復権は容易ではない。次代を担うべき若い医師は専門医には関心を示しても、学位に対して興味をもたない。もっていても役に立たないならば不要と考えているのだろうが、若い医師は自ら考えることを放棄しているようにみえる。学問的、論理的思考を必要としていないのか、医療を科学的観点から捉えず、想像力の乏しい器械のようになっているのだ。EBM全盛の時代には仕方のないことかもしれないが、専門医までも患者や家族に病態を説明する際、「病状はこれこれこういう状態です。治療法はいくつかあって、それぞれ利点はこうで、欠点はこうです。おのおのの治療成績はこうなっています」と流暢に話ながら、どれを選択しますかと素人に決定権を委ねる始末だ。一体全体、誰が、何のために治療を施すのであろうか。なんと裁量権までも放棄しているのだ。大事に育ててきたつもりが、ルソーの言う「子どもを不幸にする一番確実な方法は、何でも手に入れられるようにしてやること」になってはいないだろうか。
 質の高い医療とは「患者が求める、患者に必要な当たり前のことを的確に安全に実施すること」であるが、それを判断するのは医師であり、それを実行することこそ真のプライド、「医師の誇り」が生まれるはずである。医師は誇りをもって医療の均霑化(きんてんか)を目指さなければならない。
(聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院院長)

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