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東京慈恵医科大学同窓会

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2014年04月25日 入学式祝辞
学校法人慈恵大学 理事長 栗原 敏


 新入生の皆さんご入学おめでとうございます。また、新入生のご父兄の皆様には、ご子弟の入学を心待ちにされていたことと思います。心からお祝い申し上げます。
 日本には80の医科大学・医学部があり、それぞれ建学の精神があります。特に私立医科大学は、創設者の強い理念によって開設されています。その理念が多くの卒業生によって継承され、伝統が創られているのです。新入生の皆さんは、本学の歴史をよく理解し、本学に入学した理由をもう一度思い出し噛みしめて頂きたいと思います。
 本学の前身である成医会講習所は、高木兼寛先生によって1881年に創立されました。また、看護婦教育所は1885年に開設されました。病に苦しむ人により良い医療を施したいと考え、そのためには、患者をよく診る医師を育成すると共に、医師と手を携えて治療にあたる看護師を養成することが、是非、必要だと考えたのであります。これは先生が留学したセント・トーマス病院医学校に併設されていたナイチンゲール看護学校で教育を受けた看護師が、医師と共に働いていたのを先生が見聞したことによります。ナイチンゲールは高貴な階級の子女でしたが、子供のころから看病することに大きな関心を寄せ、クリミア戦争に従軍して戦病者を看護し、看護の重要性を自ら示したのであります。その後、セント・トーマス病院医学校の中に看護学校を創設し、看護教育を始めました。高木先生によってナイチンゲールの看護が本学に導入され、実践を重んじる看護教育が今日まで継承されているという歴史があります。
 また、日本では明治時代、貧しい人は医療を受けられませんでしたが、高木先生は施療病院を開院して、貧しい人にも医療の手を差し伸べました。このように施療病院を開院したのは、医療は一部の人のためだけでなく、病を得た人のためにあるという高木先生の考えに基づくものです。現在の附属病院の前身がこの施療病院です。
 成医会講習所、看護婦教育所、施療病院である有志共立東京病院の開設経費は、高木先生の高い志に賛同した人たちの寄付によって賄われました。また、開設後は、皇室、徳川家、渋沢栄一氏らの協力で、社団法人東京慈恵会が設立されて、高木先生を物心ともに支援しました。このように、本学は患者さんのための医学・医療を実践する医療人を育成するという、高木兼寛先生の理念を、130年以上にわたり、多くの方の支援と協力を得ながら継承してきたという伝統があります。
 また、明治時代には脚気という病気で毎年数万人が亡くなっていました。高木先生は脚気患者を取りまく環境や食事をつぶさに調べ、脚気は感染症ではなく、栄養の欠陥が原因であるという学説を提唱しました。ビタミンという概念が広く認められ、脚気がビタミンB1の欠乏によって発症することが解明される30年も前のことです。脚気栄養欠陥説は、脚気が細菌によっておこるという説に捉われていた、国立大学の人や陸軍軍医には認められませんでした。海軍軍医総監を務めていた高木先生は海軍の兵食を改善し、海軍から脚気を駆逐しましたが、陸軍では改善されませんでした。その結果、日清・日露戦争では戦死者をはるかに超える脚気患者と死者が陸軍で出たのであります。脚気栄養欠陥説は外国でビタミンの発見につながり、先生は欧米でビタミンの父と呼ばれ、高く評価されています。この脚気の研究を通して、既成概念を打ち破り新たな考えを創出することの難しさを知ることができます。皆さんはどうか、柔軟な頭脳で学び、知識を咀嚼して吸収し、よく考え真理を求めるとともに、患者さんの心の痛みを理解できる医師・看護師、そして研究者になってほしいとお願いします。
 皆さんがこれから医師や看護師になるための勉学は大変厳しいと思います。人の命に係わる仕事に就くことの重大さをよく認識して、これからの勉学に励んで下さい。
 皆さんは無限の可能性を秘めています。その可能性は自分自身で気づいていないものもあることでしょう。優れた仕事をした多くの先人は、人との出会いによって、自分自身の可能性が引き出され育まれたと言っています。
 大学は、先生、先輩、友人、後輩など、多くの人との出会いの場です。どうか、皆さんが本学で学ぶことによって、知識を得るだけでなく、多様な人と出会い、言葉を交わし学び、啓発されることによって皆さんの未来が拓け、それぞれの歩むべき道を見つけることができることを切に願ってお祝いの言葉とします。

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