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東京慈恵医科大学同窓会

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2014年04月25日 論壇 「聴く」教育の意義
野呂 幾久子


 現代はコミュニケーションの時代と言われ、医療だけでなくあらゆる分野でコミュニケーションに関心が集まっている。筆者は、平成13年から本学で初年次の医学生、看護学生のコミュニケーションおよび日本語の教育に携わってきた。その授業の中で最も力を入れているのが聴くことである。理由は三つある。
 まず、私もそうだが、ほとんどの学生が高校までに聴くことの教育を受けていないからである。一般的に「コミュニケーション」という言葉を聞いてまず思い浮かぶのは、話すことではないだろうか。キャッチャーなしでキャッチボールが成り立たないように、聞き手なしではコミュニケーションは成立しない。特に日本語は「対話」(英語のように話し手が責任を持って話を完成するスタイル)ではなく「共話」(聞き手が頻繁にあいづちを打つなどして話し手に協力し話を形成するスタイル)の言語と言われ、聴き手の存在や役割が非常に重要である。それにもかかわらず、これまでの国語教育では聴くことの教育がほとんど行われてこなかった。それは、聴くことが書くことや話すことに比べ簡単で受動的な行為であり、教育しなくても自然に身につくものと考えられてきたためである。
 しかし、聴くという行為はそれほど簡単ではない。これが二つ目の理由である。例えば、学生の中には「人に質問するのが苦手」という人がいる。質問は相手に「答えを返す」という負担を要求する行為であるため、相手に負担をかけたくないとの思いから質問を躊躇する気持ちは理解できる。しかし、質問をしないと相手から情報が得られないばかりでなく、時に「あなたに関心がありません」というメッセージが伝わってしまう。相手の負担を軽くする前置きや、ぶしつけにならない適切な質問表現を身につけるトレーニングが必要である。
 最後に、これが最も大きな理由だが、聴くことが相手との信頼関係につながるためである。人が話を聴く内容には、相手の持っている情報(知)、感情・思い(情)、信念・価値観(アイデンティティ)がある。このうち特に重要なのが信念・価値観である。例えば、患者さんが治療(ひいては人生)において重視していることは、病気が良くなる、仕事を全うする、家族に迷惑をかけないなどそれぞれ異なり、それを医療者の方は日々聴きとられているのだと思う。このように、相手の話の中からその人の信念・価値観を聴き取り、それに理解を示すことは、相手にとって「自分を受けとめてもらえた」という確かな体験になり、最も大切にしているものが共有されたことで信頼関係(ラポール)が深まる。
 将来、患者という人間を受けとめ信頼関係を築けるような聴く力、そしてコミュニケーションの力について、今後も学生とともに考えていきたい。
(人間科学教室 日本語教育研究室教授・特別会員)

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