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東京慈恵医科大学同窓会

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2014年11月25日 論壇 「慈恵の使命」
(昭51) 小川武希


 都心中央に位置する本学は今まさに千載一遇の好機を迎えている。日本経済は低迷し、地方は疲弊し、人口が集中する東京では加速度的に少子化が進んでいる。しかし、希望は絶望の中からのみ生まれる。今、新西新橋キャンパス構想が進捗している。都立高校跡地に災害、救急、周産期をメインとする医療機関公募に、本学の提案が採用された。
 平成23年3月11日は、中央講堂では卒業式の最中であった。中央講堂は幸いにも数ヶ月前に補修工事がなされており、学長による祝辞は粛々と続けられた。まもなく、九段会館の崩落が報道された。救急部は7つの初期治療室を救急病床とし通常14病床と合わせ21病床とし救急車47台、バス1台(九段会館の傷病者12名)を含め全ての患者を受け入れることができた。附属病院は院長の指示の元、防災計画どおり防災センターを中央棟入退院ロビーに設置しそれぞれの部署で皆獅子奮迅の働きをした。外来棟には300名以上の帰宅困難者を受け入れ、専務理事の指示で支給のためのパンを院内のベーカリーで増産した。その夜、燃えあがる気仙沼のテレビ画像を見て、翌日には爆発する原発を見た。当時、本学ではメルトダウンは起こり得ないという緊急講演が行われていた。しかし、それが希望的楽観論だったことは数日後に判明する。災害時の救急医療はこの発災直後の超急性期から開始され、亜急性期までを如何に継続できるかが重要である。ここで我々慈恵人にできることは医療を通じてのみであり、ニーズに合致する支援が重要である。当時、損害の無い医療施設を利用し、ここに人的物的医療資源を継続的に投入することが最善の方策と考えた。著者は全国に存在する慈恵同窓会支部のうち、大平謹一郎福島支部長への接触を図った。検討の結果、全学の総力を上げて3月21日から40日間の福島医療支援を継続した。院長室では毎日ロジステックを中心とする対策会議が開催された。外来棟、中央講堂が残って幸運だったが、次の大災害には耐えられないであろう。
 慈恵の中核となる新キャンパスに期待されるものは明らかであると考える。救急災害医療への備えである。このための強靭なハードの構築と慈恵の心を持つ同志の育成である。また日常的な情報交換、広報活動の重要性は論をまたない。学祖は戊辰戦争を経験し初めて「医」に目覚め、英国で「学」を修め国手となった。国民体操、ラグビー、水泳、サッカーなどスポーツ界においても歴代学長は大きな功績を築いて来られた。麦飯男爵の末裔である我々は、誇りを持ってこの精神を継承し困難な時代を切り拓いてゆきたいものである。同窓とは同心円状に前方に広がる同志の塊である。困難な時代に、若い世代を信じ、信じられる若者を叱咤激励し育てることが同窓会と大学の使命であると考える。
(救急医学講座担当教授)

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