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東京慈恵医科大学同窓会

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2015年03月25日 第1260回成医会例会開催
―永井良三自治医科大学学長による講演―


 平成27年2月17日、第1260回成医会例会が大学1号館講堂(3階)で開催された。今回は自治医科大学永井良三学長による「ベルツ博士と日本の医学」と題してご講演いただいた。
 講師の永井良三先生は昭和49年東京大学医学部をご卒業され、同大循環器内科の主任教授、附属病院長を務められた後、現在は自治医科大学学長の要職に就かれている。先生は、現在日本の医学研究のあり方が問われている。しかし医学には多文化性がある。こうしたことを理解し、将来へ向かうためには医学の歴史を知らないといけないと提言された。すなわち、医学が持つ思想性、科学性は勿論、その本質を熟知する必要があると強調された。こうして、医学の思想・歴史を縦糸に、エルヴィン・フォン・ベルツ博士を横糸に先生は想いの丈を吐露された。
 ベルツ博士は明治9年、日本政府に招聘されたドイツ人医師で、爾来27年間日本医学界の発展に尽力した。東大医学部の前身東京医学校に奉職し、臨床の重要性を説いた。
 西欧思想では、古来理論は高貴なもの、実践は無知なものとされてきた。ヒポクラテスは「人間への愛のあるところに医術への愛もある」と説いたが、当時この思想は欧州へは伝わらなかった。中世ヨーロッパでは天体への興味と探究から、人間の営みは偶然に支配された無知の世界である。一方天体は神に支配された法則性、必然性の世界であり、それが知性であるとされた。デカルトが「原理」を説き、医学とはモラルに成果が実ることとした。カントは仮説を実証する考え方を導入し、「すべての細胞は細胞から」とする細胞病理学者のウィルヒョウによってもたらされた革命的な改革の洗礼を浴びてベルツは来日した。ベルツは以上の思想を基に日本での医学教育に当たり、内科病論、鼈氏内科学などを著した。ツツガムシ病、肺吸虫症の研究、蒙古斑の命名、温泉医学研究、ベルツ水などその活動、業績は多岐にわたった。脚気については伝染性多発神経炎としながらも、「高木兼寛氏の介入により偉大な効果を得たり」という趣旨のことも報告した。ベルツは当時無批判に西洋文化を受け入れる日本に苦言を呈していた。曰く、開国間もないのに欧州中世騎士時代の5世紀余りを飛び越えて19世紀のすべての成果を吸収しようとしている。欧州が文化熟成に要したその5世紀余を顧みず、科学がもたらす果実のみに執着している。西欧の学問の成り立ちと根本にある本質、精神について誤解をしている。学問世界は有機体であり、開花するには一定の気候と風土を必要とする。永井先生は以上の経緯を多くのスライドを用いて詳述された。そして、医療はしばしば「成果」として語られる。日本の科学は枝葉から入り、同様に細分化した医学もタコつぼ化した。そこに今日的問題がある。今はまさに臨床医学が再構築されるべき時代に差し掛かっている。医学思想の根源を考え、理論と実践は上下関係ではなく、相互の循環である。実践から叡智を創出し、日本古来の自然観、医学の多文化性に基づき、人間の営みに真に寄与する医学を求めなければならないと話された。成医会会員一同先生の慧眼に心酔感服するとともに、我が校建学の精神の揺るぎ無い思想性に想いを新たにした。
 (成医会運営委員長 相羽惠介)

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