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東京慈恵医科大学同窓会

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2015年05月25日 論壇
壱に師匠、弐に師匠、
参肆がなくて伍に師匠
(平5) 井口 保之


「@@科に所属、@@教授に師事いたしました。」という自己紹介を聞く機会は減った気がする。その理由は、餮師たる人材不足、餽医師の職業観変化に起因する。貴様に「師」を語る資格があるか、との厳しい叱責を覚悟したい。師に必要なことは、知性と愛情である。自省の念を深く込め述べることをお許しいただきたい。
 我々教員は知性を磨かねばならない。決して答えがでないであろう課題にひたすらに、ひたむきに取り組むこと。知性とは、この取組みの積み重ねによりその人から沸き上がる「人格」である。そもそも教育自体が、知的行為である。教育の結果はどのような尺度で評価するか。国家試験合格率?慈恵医大への就職率?神経内科への入局者数?慈恵の名に恥じない良医を1人でも多く育てること?その結果が明らかになるのは10年後?20年後?育てた医師が鬼門に入った時かもしれない。
 多くの現代人は知能を磨くことに力を注ぐ。知能とは、正解がある問いかけに対して短時間に正答する能力である。人工知能は開発可能な理由は然り。一方で、人工知性は開発不能である。世界的な科学者は知能のみならず知性を備えている。そもそも医学は知性のネタとなる題材の塊である。我々の周りには答えがない問いかけが山積である。知性は奥が深い。そして今からでもすぐに知性を磨くことができる。
 同僚、学生に対し、深い愛情を込め接しているだろうか。本学教員として奉職し、学生・医師とともに学ぶ立場にあることに、幸せと喜びを見出し日々いきいきと過ごしているであろうか。自身を律し、時に苦言を呈する。孤独にさいなまれ辛いこともあろう。無理難題に議論を重ね、時に投げ出したくなることもあろう。
 高木兼寛先生は、正門前で身だしなみが整っていない学生、医師に対して口頭で注意をされた。身だしなみ・マナーに人一倍厳しい一方で、深い慈愛に満ちた多くのエピソードをお持ちであったと聞く。その詳細は130年史に譲りたい。歴史ある慈大新聞の「論壇」を任された小職から皆様へ。師匠の愛情は無条件の許容ではなく、お互いの成長と貢献に基づく次元の高い相互補完と納得し脱稿したい。
 麗月、進級判定を決める教授会に臨みつつ。
(内科学講座神経内科担当教授)

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