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東京慈恵医科大学同窓会

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2020年03月25日 卒業式祝辞
学校法人慈恵大学 理事長 栗原 敏


 医学科109名、看護学科58名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。また、保護者の皆様には、今日の日を、日々、心待ちにされてこられたと思います。保護者の皆様がご子弟の教育に高い関心と大きな期待をもっていることを、保護者会などを通して、日頃感じています。ご子弟の皆様の教育には、本学の教職員の熱意と共に、ご家族のご支援が必要なことは言うまでもありません。本日、医学科、看護学科の卒業生の皆さんを社会に送り出すことが出来るのは、保護者の皆様同様、我々、教職員にとってもこの上ない喜びであります。
 今年の卒業式は、新型コロナウイルス感染症の影響によって、例年とは異なる卒業式となりました。卒業生のご家族や関係者の方々は、皆さんの晴れ姿を楽しみにしていたことと思いますが、感染を拡散させないために、卒業式の挙行形態を縮小せざるを得ないことは誠に残念です。しかし、医科大学の見識と社会的責任を考えると、致し方のないことであります。私たちは学長を中心に、卒業式について慎重に、かつ、多様な視点から検討した結果だということをご理解下さい。今後、皆さんの人生行路の中で、このような難しい判断を求められることが多々あると思いますが、何を優先すべきかを熟慮して決断することが肝要です。
 私は1971年(昭和46年)に本学を卒業しました。1928年に英国のアレクサンダー・フレミングによってペニシリンが発見されて以来、抗生物質が次々と開発され、当時、感染症は過去の疾病になりつつあるというような風潮がありました。しかし、その後、耐性菌が出現し、その治療に難渋しています。また、1931年、ドイツのエルンスト・ルスカとマックス・クノールが電子顕微鏡を開発し、ウイルスによる感染症が明らかになり、感染症の重要性が再認識されるようになりました。さらに、多国間で人が往来するようになり、感染症は世界規模で取り組まなくてはならない重要な社会医学的問題にもなっており、人類と病原体との闘いは永遠の課題であることを思い知らされています。
 さて、医学科は6年間、看護学科は4年間、修得すべき全課程を終え、医師や看護師になる基礎を学んだわけですが、これからは、自分自身でそれぞれの道を切り拓いていかなくてはなりません。医師や看護師としての本当の研鑽が始まるのはこれからだと言っていいと思います。特に、卒業してから、10年間は極めて大切な時期で、自分の目標を定め、それに向かって日々、一歩一歩、一生懸命努力を重ねていかなくてはなりません。皆さんが多くのことを学び修得し、一生の基盤を創る大切な時期だということを認識していただきたいと思います。
 昨年は、学祖・高木兼寛先生生誕170年の節目の年で、先生を偲んで、大学と宮崎市で記念の講演会、式典・祝賀会が行われました。先生の生誕の地で行われた穆園広場での式典は質素でしたが、先生に対する出席者の思いが伝わり心打たれるものがありました。先生が英国留学から帰国後、1881年に医師を育成する成医会講習所を創設し、翌年には有志を募って貧しい人でも医療を受けられるように、有志共立東京病院を天光院というお寺に間借りして開院しました。また、医師と共に医療現場で働く看護婦を育成するために、当時の名流夫人による夫人慈善会の協力を得て、日本で最初の看護婦教育所を、1885年に設立しました。加えて、脚気の原因が細菌感染ではなく栄養の欠陥であることを示唆したのもこの時期と重なります。
 これらの仕事は高木先生が32歳から36歳位までに行われたことを考えると、医学を修めた後の10年間が如何に重要かということが分かります。もちろん、時代や医学・医療の在り方が現在と異なっているので、一概に比較できませんが、日本の医学・医療に尽くすという先生の強い意志があったからこそ、このような立派な仕事を成し遂げたものと思います。皆さんも、自分の目指す目標を定め、それに向かって、例え遅くても、一歩一歩、日々、歩みを進めることが求められていることを忘れないで頂きたいのであります。
 先日、第1265回成医会例会に、学校法人北里研究所・特別栄誉教授で、2015年(平成27年)、ノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智先生をお迎えして、ご講演を拝聴しました。先生は実に多彩なご経歴を持っておられ、山梨大学学芸学部をご卒業になり、その後、東京理科大学で研鑽された後、北里研究所に入られて研究されました。ご幼少のころから、“人のためになる仕事をすることが一番大事なことだ”と教えられたそうです。先生は、オンコセルカ症という難病に有効なイベルメクチンを発見し、何億人という人を失明から救いました。また、これからも救い続けるでしょう。研究によって実に多くの病に苦しむ人を救うことが可能になったのです。先生はご講演の中で、“不動心で歩みを進める。金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない人間である。実践躬行(自らやって見せること)が大切”などと話され、これらの言葉が心に響きました。このような教えは、どの道にも通じるものだと思います。卒業生の皆さんは是非、これらの教えを心に留めておいてください。
 さて、今年は近代看護の創始者、ナイチンゲールの生誕200年の記念の年です。毎年、ナイチンゲールの誕生日である5月12日は、看護の日と定められており、今年も、“Nursing Nowキャンペーン”が行われる予定です。本学の看護教育の源流は、高木先生がセント・トーマス病院医学校に留学した時に、併設されていたナイチンゲールの看護学校を見て、日本でも医師と手を携えて患者さんに尽くす看護婦を養成したいと考えたことに遡ります。現在、日本には270を超える看護大学が設置されています。これから、看護大学の質が問われる時代になります。本学の看護学科は、少人数教育と医学生との共修を特徴としてきましたが、これは、高木先生の理念を尊重してきたからです。“臨床医学は学と術と道とよりなる”と言われた、本学の第八代学長・阿部正和先生は、看護に対しても深い理解を示されていました。看護学科を卒業される皆さんは、これから臨床の現場で、医師と共に働くわけですが、看護における“学と術と道”がどうあるべきかを考えて頂きたいと思います。“学”という文字がつくと、とかく専門分化し、垣根ができて意思疎通が困難になります。皆さんが多様な患者さんに接し、病に苦しむ人の心に共感し寄り添い、患者さんとそのご家族に対して向き合うにはどうしたらいいのか、考え続けていただきたいとお願いします。“医学は厳しく、医療は優しく”と言われたのは、川崎病を発見された川崎富作先生で、学問と医療の在り方を示唆しています。
 本日、医学科、看護学科を卒業する皆さんの門出を祝すとともに、これからの人生行路で、例えどのような困難に出会っても皆さんが培ってきた英知をもって乗り越えていって欲しいと強く思います。長い人生行路には必ずいくつかの試練があります。試練を乗り越えた時、皆さんは一回り大きく成長することでしょう。皆さん一人ひとりの人生が、生きていてよかったと思えるものとなることを心から祈念して、お祝いの言葉といたします。

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