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東京慈恵医科大学同窓会

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2021年12月25日 別辞 栗原敏理事長

学校法人慈恵大学理事長
栗原 敏

 学校法人慈恵大学顧問、前理事長、東京慈恵会医科大学第9代学長、名誉教授の岡村哲夫先生は、令和3年8月3日、東京慈恵会医科大学附属病院で、91歳のご生涯を閉じられました。学校法人慈恵大学を代表して心から哀悼の意を表します。
 先生は昭和30年に東京慈恵会医科大学をご卒業になり、昭和31年本学第1内科学教室に副手として入られました。昭和38年には西ベルリンのノイケルン病院に留学され、昭和46年講師に昇格されました。昭和48年4月に聖マリアンナ医科大学、第2内科学教室の助教授として転出され、昭和58年教授に昇格されたのであります。その後、本学では循環器を専門とする第4内科学教室の教授選考をしていたところ、岡村先生を是非お迎えしたいということになり、昭和61年4月に本学第4内科学教室の教授にご着任になられました。時を同じくして、私も第2生理学教室の教授に昇格いたしましたので、教授就任としては先生と同期ということになります。
 私は心筋の生理学研究をやっており、基礎医学教室と臨床医学教室とが連携した研究の振興は、本学にとって重要だと考えていました。ある時、先生の教室の方の中に、私のところで研究する人はいませんかと声を掛けさせて頂きました。数日後に、大学院に入学した本郷賢一君を頼むと言われ、再派遣先として第2生理学教室に来られ、我々の研究に参加されました。その後、本郷先生に続いて第4内科学教室の大学院生が第2生理学教室に次ぎつぎに来られ研究されたのであります。現在、本郷先生は循環器内科学講座の教授として活躍されており、それに続く方々も循環器内科の中核として活躍されており、基礎医学講座と臨床医学講座との連携の一つの形を示せたと考えています。
 岡村先生は、平成3年1月、本学附属病院長に就任され、その後、平成4年12月には、本学の第9代学長に就任されました。先生は医学教育の改善に努められ、医学教育研究室を開設され、福島統講師(現、特命教授)など、本学の中堅教員が活躍し、教育改革の大きな力になりました。本学の創立百年を記念して設置された慈恵大学百年記念事業委員会の答申を受けて、新カリキュラムが提案され、他学に先駆けて教育改革が行われたのであります。
 先生は、病院と大学との関係を熟慮され、病院と大学を組織図上明確に分け、臨床教員は講座から附属病院に出向して診療に従事することを提案されました。この考えの根底には、研究などの片手間に患者を診ることを止めて、期間を区切って診療、研究それぞれに、集中しなくては、どちらも中途半端になり、患者が迷惑するという先生のお考えがあったのであります。高木兼寛先生以来、患者中心の医学・医療を継承している本学の伝統を貫かれたと思います。学内には様々な意見があり、時には熱い議論が行われましたが、馬詰良樹教授を委員長とする慈恵大学百年記念事業委員会の答申が受け容れられ、改革の道筋ができました。
 先生は病院と大学との分離に加えて、講座の在り方にも着手され、いわゆるナンバー講座を改めて、臨床講座は診療科を中心とした講座に編成されました。これまでの講座の在り方を変えて診療科を見据えた講座に再編されたので、一時期、混乱しましたが、講座の機能が分かり易く整理されました。
 大学と附属病院の建築計画に対しても、先生は独自のお考えをお持ちでした。本学の敷地の北側には大学を、南側には病院を配置するという考えを示され、患者と学生や教職員の交錯を避けるという原則に立って建築計画を見直すことを提案されました。先ず、入院棟建築に着手され、現在の中央棟が平成12年に竣工しました。それに続き隣接地に外来棟を建てることを望んでおられましたが、病院と大学を分けることは狭隘な所有地の中で至難の業で、建物の見直しを何度もやりましたが、ゆとりある建物は夢のまた夢でした。この問題は、私が継承して都有地を借用できることになり、現在のような形になりましたが、まだ、道半ばです。
 先生は、国の補助金がなくてもやっていける大学を目指されていました。それには、4附属病院が健全に発展することが基盤で、それぞれの病院の特色化を強調されていました。このため、分院長を理事にして責任を持たせ、分院が活性化されることを期待していました。先ず手始めに、分院長をオブザーバーとして理事会に陪席させました。また、教学委員長の私も理事会に陪席するように言われ、出席しました。その後、定款が改定され現在のように分院長が理事として理事会に出席するようになったのであります。また、あるとき先生は、慈恵は優良企業だからいつ買収の手が伸びてくるかもしれないと言われ、大学を取り巻く社会情勢を考慮した大学運営を考えておられました。
  平成12年11月9日の午後、これから実験を始めようと白衣に着替えていた時、先生に呼び出され、理事会議室に行くと、先生と理事3名に取り囲まれました。岡村先生は、次期の学長は君にやって欲しいと言われたのであります。お断りしましたが、学長命令だと言われ、その後、私が学長をお引き受けすることになったのであります。先生の一言で、その後の私の人生は一変しました。先生がやり残した仕事を継承すると共に、将来を見据えた本学の運営を考えなくてはならなくなったのであります。先生は細かなことは一切、お話になりませんでしたが、大変なことになりました。
 先生のお考えは、ご著書“伝統と改革”、“医を考える”に集約されています。物事を整理した上で、先生のお考えが明快に述べられています。今、読み返してみると、先生ともっと議論しておけばよかったと思うことが多々あります。先生が理事長を退任され、大学の顧問になられてからは、教授会などについてご報告するために、先生のお部屋に伺うと、鋭いご意見を頂くことが多々ありました。
 先生のお好きなお酒を飲みながらゆっくりお話すれば、より深いお話ができたのではないかと悔やまれます。先生から常に物事の本質に迫る岡村哲学を教えられました。施設に移られてから何度かお見舞いに伺いましたが、お酒とたばこは最後まで嗜まれていました。
 先生が意図されたことがどれほど実現しているのか、厳しい目で天上から見ておられるのではないかと思うと、身が引き締まる思いがします。時代と共に人も組織も変わりますが、本学の伝統がどのように継承されていて、改革がどのように進行しているのかお見守り下さい。
 改めて、先生に敬意を表すると共に、天上でお好きな音楽に耳を傾け、お酒をお飲みになりながら至福の時を過ごされていることを願っております。
 先生の御霊のご安寧を心から祈念申し上げます。どうか、安らかにお休み下さい。

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