トップページ

東京慈恵医科大学同窓会

最新情報


2023年03月25日 卒業式式辞・卒業式祝辞

卒業式式辞
東京慈恵会医科大学
学長 松藤 千弥

 ご卒業おめでとうございます。困難な環境の中で、今日まで皆さんが重ねた努力を讃えます。本当によくがんばりました。また、ご家族の皆様、誠におめでとうございます。できれば、ご希望されるご家族の皆様全員にご参列いただきたいところではございましたが、感染対策上の理由で制限を設けざるを得ませんでした。ご参列できない皆様には、式典の様子を映像で配信いたします。どうかご理解頂きますようお願い申しあげます。
 卒業生の皆さんが大学生として過ごしている間に、急速に社会の不確実性が増しました。
 新型コロナウイルス感染症は、3年前、突然やってきました。医学科の卒業生は大学生活の半分を、看護学科の卒業生はその大半を、コロナの影響下で過ごしたことになります。感染拡大当初の混乱と不安、続いて、なかなか元に戻らない状況への焦りと苛立ちは、私のような年代の者に比べて、大切な青春の中にいる皆さんの方がずっと大きかったと思います。部活動、留学、旅行など、できなかったことやあきらめなければならなかったことが、たくさんあったことでしょう。
 1年前には、ウクライナで戦争が始まりました。遠い国でのできごととはいえ、私たちと同じように暮らしていた多くの人々の生活が、そして命と健康が、突然脅かされる不条理が今の世に起こりうることを私たちは知ったのです。日本にとって、このような戦争と不条理は無縁なことではありません。間接的にも、ウクライナ危機は世界の分断と格差の拡大を引き起こし、日本の社会にもその影響が及んでいます。戦争以外にも、大地震や水害などの自然災害は一度に多くの人たちを脅かします。自然災害や感染症の一部は地球温暖化や環境破壊が誘因になっていると考えられます。しかし、それを食い止めるために世界が団結するには至っていません。日本でも世界でも、多くの社会的、経済的問題が解決できずに先延ばしされていて、この状況を打開するためには本質的な変革が必要なのです。
 皆さんの晴れの日に、あえてこのような楽しくないお話しをするのは、これらの事象や問題は、常に人々の健康や命を脅かす故に、皆さんが担う使命に深い関係があるからです。そして、本学の建学の精神のもとで学んだ皆さんが、これらに向き合う姿勢は、自ずと他とは違うはずだと考えるからです。
 建学の精神は、私たちの医学・医療が、病に苦しむ人そのものを対象とし、単に病気の治療をするだけでなく、その人の最大限の幸福をめざした介入をすべきことを指し示しています。学祖、高木兼寛は、それを自ら実践するとともに、学生や後輩達に植え付けました。本日皆さんにお贈りした卒業記念品の中に、同窓会が制作し寄贈くださった「群星光芒、高木兼寛」が入っています。ここには、同じ精神に基づいて、脚気の撲滅のために奮闘した学祖が描かれています。学祖は、広い社会的視野を持ち、その奮闘の場は医療現場や研究室に限られることなく、人々の幸せを願って変革を成し遂げたのでした。それは結果的に、近代における日本の世界的地位の確立にもつながったのです。
 さて、社会はコロナ後に向けて動き始めています。そこに一歩を踏み出す皆さんの多くは医学、医療の実践者の道に進み、研鑽を積みながら、医学、医療に大きく貢献する人に成長していくことでしょう。若い間に自分を最大限磨いてください。ここで十分な力をつけることが、困難な状況下にあっても患者さんのために尽くせることにつながります。自分に力をつけるのは、患者さんに貢献するためだということを忘れないでください。そして、患者さんやその家族と向き合うときには、社会的・経済的格差や差別の問題に敏感になり、弱者の側に立ってください。人工知能がどんなに進歩しても、この役割は決して取って代わられることはありません。
 さらに皆さんには、社会的、国際的視野を広げることに努め、必要なときに自分の持ち場で変革の一翼を担えるように準備していただきたいと思います。変革が必要だという点で、皆さんが活躍する時代は、学祖が活躍した時代と共通しています。皆さんの力が必要とされる時がきっとやって来ます。
 大きな可能性を持って社会に歩み出す皆さんを祝福するとともに、社会の人々の幸せを皆さんに託し、私の式辞といたします。


卒業式祝辞
学校法人慈恵大学
理事長 栗 原 敏

 医学科110名、看護学科60名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。新型コロナウイルス感染症が十分収束しない中、出席される方を制限しなくてはならないことは、誠に残念です。しかし、困難な時だからこそ皆さんのご卒業を祝う気持ちは一入(ひとしお)です。今日を迎えられたのは、皆さんの高い志を、ご家族と本学の教職員が支えてきたことを忘れてはならないと思います。
 卒業生の皆さんは卒業後の進路を決めていると思いますが、ほとんどの医学科卒業生は臨床研修指定病院で、2年間の臨床研修を受けることと思います。また、看護学科卒業生は、保健師や助産師を目指す方もいるなど道は多様だと思います。
 卒業後の医師臨床研修制度は今日に至るまでに紆余曲折がありました。昭和21年(1946年)にインターン制度ができましたが、制度の内容、インターン生の身分・待遇などに問題があることが指摘され、インターン制度を改革する運動が起きました。いわゆるインターン闘争です。その結果、昭和43年(1968年)、旧医師臨床研修制度ができました。しかし、この制度にはいくつかの改善点があったので見直され、平成16年(2004年)に、現在の新医師臨床研修制度が導入されたのであります。私は慈恵医大在学中にインターン反対運動を経験しました。いわゆるインターン闘争は全国的に拡大し、本学でも過激派学生がストライキを計画し、反対派との間で、議論が沸騰しました。学生委員長だった級友が、スト突入を回避したのです。このように、現在の新医師臨床研修制度が確立されるまでには、多くの方が汗を流したのです。
 その後も、臨床研修の方式が問題になりました。研修医が希望する診療科に所属して、その診療科で研修をする専門研修がいいのか、スーパー・ローテーションといって、複数の診療科を回って幅広く臨床経験を積むのがいいのか議論されました。多くの大学では、各診療科が研修医を獲得したいために、それぞれの診療科に所属して研修を行うことを主張しました。しかし、全人的医療を行うには、多くの視点で患者さんを診ることが求められます。当時、阿部正和学長は医師としての基本的診療能力の涵養には、広く臨床各科を経験することが必要だと言われ、複数の診療科を回るスーパー・ローテーション方式が、全国に先駆けて採り入れられたのであります。
 私が教学委員長の時に、総合試験システムが学内試験で試みられました。文部省の医学教育課長がこの試験に注目して、知識の試験は慈恵が独自に始めた総合試験システムが注目され、Co-mputer-based tes-ting(CBT)として行われるようになったのです。医療には知識とともに、患者を診るための技能・態度が求められます。臨床実習では、直接患者さんを診させていただくことが臨床教育には不可欠です。患者さんを診させていただく前に、基本的な知識と共に臨床技能・態度を身に着けているかを評価し、合格していないと、診療参加型臨床実習を行うことができないことが法律で定められ、令和5年度から、いわゆる共用試験が法の下で行われることになりました。医学教育は大きな変革の時を迎えているのです。私はこの共用試験実施評価機構の理事長を仰せつかっており、阿部正和・第8代学長以来、慈恵医大は医学教育・医師育成に、先進的に取り組んできた大学だということを心に留めておいて下さい。
 高木兼寛先生は、鹿児島藩立医学校でウイリアム・ウィリスから英国流の医学・医療を学びましたが、ウィリスは医学・医療の教育には、病院で患者さんを診ることが必須であることを主張して、赤倉病院が開院されました。当時から、患者さんから学ぶ医師育成教育が行われていたことは、日本の医学教育史上、注目すべきことです。また、慈恵がその伝統を継承してきたことが、現在の医学教育に活かされていることを考えると、ウィリスと高木先生との出会いが、日本の医学教育の底流にあることが分かります。多くの医科大学と異なり、英国流医学を継承してきた本学で、医学・医療を学んだことの意義を胸に刻んで下さい。
 また、医療には看護婦が必要だとする高木先生に賛同した、当時の名流婦人がバザーを開催してその収益で、本邦で最初の看護婦教育所を開設し、看護婦の育成を国に先駆けて本学が始めたことは、医学・医療史の上で特筆すべきことです。女性の社会的地位が低かった明治時代に、看護婦を育成し看護婦を医師と同等に重んじた先生の考えの中に、看護婦を目指す女性に対する深い理解と愛情を感じます。
 さて、高木先生は、明治時代に多くの若い人が脚気で亡くなっていたことに心を痛め、脚気の原因を明らかにし、脚気患者が出ないことを願っていました。ドイツに留学した帝国大学の学者は、脚気は細菌感染によるものだと主張しましたが、英国で疫学を学んだ高木先生は、脚気は栄養の欠陥であることを示しました。しかし、脚気細菌感染説を主張する学者は、脚気栄養欠陥説に耳を傾けませんでした。模倣の時代と言われるように、明治時代の日本には、科学の土壌が十分に醸成されていなかったのです。
 それにしても、陸軍とそれに連なる帝国大学の人々が権威に捉われなかったら、あれほど多くの脚気患者と死者を出さないで済んだのではないかと思います。卒業生の皆さんは、これから色々な場面で判断を求められることが多々あると思いますが、確かなものを求める心を、是非、大切にしていただきたいと思います。
 1902年(明治35年)に日本医学会総会という学術集会が、16の学会の集いとして東京で開催されました。高木先生も発起人の一人でした。以来、今日に至るまで、医学会総会は四年毎に開催され、今年は第31回目の総会が東京で“ビッグデータが拓く未来の医学と医療”―豊かな人生100年時代を求めて―と題して開催されます。これまで、医学・医療に貢献してきた本学を振り返るとともに、これからの医学・医療の世界で活躍する皆さんの役割を考える良い機会と考えています。建学の精神“病気を診ずして病人を診よ”の意味するところを熟慮して、医学・医療の世界における貢献の在り方を、是非、考えて頂きたいと思います。高木兼寛先生以来、弱者に寄り添い耳を傾けてきた本学の伝統と歴史を胸に、卒業生の皆さんは本学で研鑽して修得した英知をよりどころに、医学・医療の世界でそれぞれの持てる力を存分に発揮して、ご健勝のうちに活躍されることを、心から祈念してお祝いの言葉とします。

top