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東京慈恵医科大学同窓会

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2021年09月25日 東京慈恵会医科大学同窓会
設立100周年記念に向けて(歴史紀行シリーズ3)


東京慈恵会医科大学同窓会長 穎川一信

定期支部長会議

 本学同窓会は支部数において他大学医学部では例を見ないほどの広がりを見せ、平成15(2003)年の看護学科支部の設立、平成20(2008)年には千葉支部が改組され新たに千葉東葛支部、千葉葛南支部、千葉房総支部が設置されたことにより、全国86支部を数える。台湾支部は会員のご高齢化により、脱会の申し出があったが、同窓会本部としては同支部の存続を願いながら対処している。
 令和2(2020)年10月3日に開催を予定していた第74回定期支部長会議は、新型コロナウイルスの感染拡大により同会議史上初めての中止となった。

同窓会支部の結成

 成医会は明治14(1881)年高木兼寛先生が英国から帰朝して、泰西医学の輸入と日本の医風の向上を計らんとする目的から、同志24名とともに立ち上げた組織であり、兼寛先生が初代会長に就任した。成医会は学術研究機関であるので、賛同する者はほとんどが入会できる組織であり、当時、会員の多くは東京慈恵医院医学専門学校の卒業生であったが、そうでない者も多く含まれていた(慈大愛宕新聞創刊號 大正14年3月15日発行)。明治33(1900)年には成医会支部の設置が認められ、同年最初の支部となる成医会横浜支部が結成された。その後各地に成医会支部が結成され、年一回総会を開催し、成医会が同窓会の役割をも担っていた(大学85年史)。更にその後、純粋な学会である成医会と同窓の親睦をはかる同窓会との区別を明確にするため、まず大正9(1920)年、同窓だけによる最初の成医会東京府支部が組織された。そして全国大同窓会が設立する以前、大正11(1922)年12月17日に慈大同窓会東京支部の臨時総会において、成医会東京府支部の解散が決議され、新たに東京府に在住する母校出身者からなる東京同窓会の成立が決議された。これが大正14(1925)年5月設立の全国大同窓会設立の発端である(慈大愛宕新聞第3號 大正14年5月25日発行)。この設立の詳細は歴史紀行シリーズ(1)令和2年12月号第793号を参照していただきたい。
 このように成医会は学術団体として、同窓会は同窓の親睦と大学への支援を目的とした団体としそれぞれの役割を果たしながら、成医会総会においては136回を数えるまでになっている。また神奈川県支部では、現在も成医会と同窓会が同時に開催され、成医会神奈川県支部総会・同窓会神奈川支部連合会として125回(令和元年)の歴史を重ねている。各地に同窓会支部が結成されているが、慈大愛宕新聞で最初に支部の記載があるのは慈大愛宕新聞第5號(大正14年7月15日発行)における横浜慈大同窓会の例会と成医会神奈川支部の会計報告である。横浜には、その十数年前からすでに同窓会があり、震災で一時頓挫したがすぐに復興し、当時会員は33名と記載がある。現在の慈大新聞の暑中見舞いには各支部名と支部長、学術連絡委員の名前が記載されているが、慈大愛宕新聞第57號(昭和5年8月1日発行)には同窓会各支部名と所属会員名一覧が掲載されていた。同窓会支部が無い所は成医会支部としての掲載となっていた。北は札幌市同窓会、南は鹿児島市同窓会と全国的な展開であった。このように全国に同窓会支部が結成されたが、全国支部長会議が行われるようになったのは戦後になってからである。
 慈大愛宕新聞は戦時中は休刊となっていたが、昭和22(1947)年1月10日に慈大新聞として第1號が復刊された。

戦後各府県 支部設立

 慈大新聞第6號(昭和24年1月5日発行、写真1)には「同窓会支部相次いで結成せらる」のタイトルで、今まで地名の表示であった支部名を各都道府県に支部を設置する計画を樹立したと記載されている。本学同窓会は地方在住同窓との密接な連絡をとって、同窓相互の親睦を図り、且つ母校の現状をよく知らせて、その発展を期する等を目的とした。そして、支部の発会式には本部からできるだけの斡旋をすることとし、大学から永山武美学長を始め、教授各位の協力を得て学術講演等のため派遣し、同窓会本部からも幹事を出席させて、大学並びに同窓会の近況をお知らせし、支部同窓各位の意見を伺って同窓会発展の参考にすることにしている。この伝統は今日まで継続され、理事長、学長、同窓会長、役員の出席、学術講演会への講師の派遣を行っている。この時新たに結成された支部は、昭和23(1948)年10月福島県支部。11月新潟県支部、和歌山県支部、愛知県支部、目黒区支部、鳥取県支部。12月長野県支部、愛媛県支部、大田区支部、台東区支部であった。昭和24(1949)年1月ごろから栃木県、群馬県、熊本県、鹿児島県、宮崎県、大分県、佐賀県、4、5月には、石川県、富山県、福井県、岐阜県、大阪府、兵庫県、高知県、香川県、広島県、茨城県に支部が結成された。そして、未設置の県には至急支部の設置を要請した。

第1回同窓会 支部長会議

 同窓会支部数は、昭和24年10月には41となり、10月14日に第1回同窓会支部長会議が開催された(慈大新聞第9號、写真2)。参加支部長は、北は北海道から南は熊本県まで35名であった。当時の交通事情や宿泊環境を考えると、支部長会議に出席すること自体が並大抵ではなかったことは想像に難くない。この時の議案として、
会則変更草案として会長を役員の中に入れること
支部長会議は年1回10月の成医会総会を機に開催すること
同窓會館設立の件
母校発展に関する件において、母校の新制大学設立への要望
が審議された。(昭和26年3月、母校は学校法人慈恵大学に改組し、予科を廃止し、昭和27年4月専門課程のみの4年制の新制大学に移行した。)
 その後毎年全国支部長会議が開催されている。昭和25(1950)年9月の臨時総会で高木喜寛名誉学長が初の同窓会長に就任し、10月開催の第2回全国支部長会議にて「わが同窓会の発展は大学の盛衰にかかわるものであって、同窓会は大学に欠くべからざるものである。関東大震災の時も、第2次大戦の時も同窓会の力で種々の困難を切り抜けてきた。今後も本学のためにご尽力を特にお願いしたい。」と会長挨拶をされた。その後毎年10月に全国支部長会議が開催され、昨年で74回となる予定であったが、新型コロナウイルス感染症拡大予防のため中止となった。各支部長、学術連絡委員には、会議資料を配布し、支部所属の会員への連絡をお願いした次第である。
 定期支部長会議は第1回から大学会議室で開催し、昭和33(1958)年10月からは9月に同窓会館ができたことにより、同窓会館2階大会議室となり、昭和45(1970)年10月第24回から平成28(2016)年10月第70回までのおよそ50年間は慈恵のシンボルである中央講堂での開催であった(写真3)。
 令和3(2021)年10月2日開催予定であった第75回定期支部長会議は、新型コロナウイルス感染症の更なる拡大により中止と決定している。2年続けて一堂に会する機会がないことから、全国同窓会員との絆をより一層深め、仲間としての連帯感を高めるために、慈大新聞10月号には全国各支部長の顔写真を掲載することとした。紙面での親睦と同窓会の絆の輪を確認していただきたいと心から願っている次第である。

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