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東京慈恵医科大学同窓会

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2021年12月25日 お別れの言葉 本郷賢一教授

東京慈恵会医科大学 内科学講座循環器内科教授
本郷 賢一

 岡村哲夫先生。謹んで先生のご逝去を悼み、お別れの言葉を述べさせていただきます。
 岡村先生と私との出会いは、私が慈恵医大を卒業し研修医となった秋のことでありました。先生は私の卒業と同時期に、聖マリアンナ医科大学より第4内科学教室教授として本学に戻られました。そのため、私は学生時代には面識はなく、第4内科の教授回診で先生と初めてお目にかかりました。第4内科研修中に、循環器疾患を中心にご指導いただき、将来循環器内科医を目指すきっかけを与えて下さいました。また、先生がお好きであったお酒の席では、私達研修医に対しても先生の思いを熱く語られており、循環器の臨床を充実させること、そしてそのためには若い医局員を積極的に勉強に出すとおっしゃっていたことを良く覚えております。そのお言葉の通り、医局員を希望の施設に派遣され、学んだ知見を還元させることにより、着々と循環器診療の整備を行われました。そのような環境の元、先生は多くの循環器内科医を育てられ、そして先生が進められた診療科体制への移行に際しては、現在の循環器内科の中心となって新体制を支えることとなったわけであります。また、先生は慈恵医大本院に呼吸器内科が無いのはおかしいともおっしゃられ、呼吸器内科医を育てるべく現在の国立国際医療センターに医局員を派遣され、また当時の虎の門病院呼吸器内科部長を定年退職と同時に客員教授としてお招きになりました。その後、多くの呼吸器内科医が第4内科から育ち、現在の呼吸器内科の基礎も築かれました。
 私自身は第4内科への入局を決め、循環器の基礎研究を行いたいと考え、大学院進学を希望いたしました。当時、新しい大学院制度になってから第4内科で大学院に進んだ方はいらっしゃいませんでしたが、先生は快く受け入れて下さいました。大学院試験に合格し、ご報告に伺った際に、先生は一言“栗ちゃんのところに行きなさい”とおっしゃいました。先生と同時期に第2生理学教室教授にご就任された栗原敏現理事長のことでありました。かねてから若い医局員を第2生理で勉強させたいとのお考えであられたそうですが、このお言葉で私の研究者としての第一歩が始まり、その後学位取得後には海外留学も経験させていただき、今日まで大学人として慈恵医大で研鑽を積むことが出来ております。本当に感謝いたしております。
 第4内科教授をご退任後も、学長・理事長として大学にいらっしゃる間、先生には多くのことでご相談に乗っていただき、ご指導いただきました。また、毎年正月には鎌倉のご自宅に同門が集まり、奥様の手料理をいただきながら先生のお話を伺うことを楽しみにしておりました。現在私自身が教授会で伺うような内容も私達にお話しされることもあり、大変興味深く拝聴しておりました。先生はご自宅の2階を改装され、巨大なスピーカーを備えた専用のオーディオルームを作られており、そこでご趣味の音楽を満喫されておられました。近年はご自宅へ伺うことはなくなりましたが、それでも毎年四月に開催されていた第4内科同門会には必ずご出席いただき、その都度我々を叱咤・激励していただいておりました。特に、私達大学に残っている者に対しては厳しいお言葉をおかけになることが多かったのですが、これはひとえに先生の慈恵医大への愛情の賜物であると感じていた次第であります。2019年4月の同門会は、前年に先生が脊椎手術を受けられこと、そして御年90歳になられることもあり、最終回と銘打って開催いたしました。開会のご挨拶で、先生は開口一番、“私は最終回とは聞いていない”とおっしゃられ、慌てて平謝りいたしました。先生と諸先輩方のご意向もあり、翌年以降も開催を予定しておりましたが、2020年以降は新型コロナウイルス感染症蔓延のため中止となっておりました。それでも、2019年の会は最終回と銘打ったこともあり、これまでで最大の参加人数となり、多くの同門が先生とお会い出来る機会を設けられたことは本当に良かったと思っております。本日も多くの同門の先生方がご出席されております。皆様、それぞれに岡村先生と過ごされた時間を感慨深く思い出されていることと思います。
 岡村先生、長い間大変お世話になり、本当に有り難うございました。これからも天国から私達同門のみならず、同窓そして慈恵医大をどうぞ見守っていて下さい。

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