トップページ

東京慈恵医科大学同窓会

最新情報


2022年02月25日 定年退任にあたって
外科学講座 三森教雄教授


 1981年3月に慈恵医大を卒業、本学附属病院で2年間の外科研修(第3病院外科、第2外科、麻酔科、心臓外科を半年毎)を終了後、1983年5月に当時ラグビー部部長でもあった中村浩一教授の手術手技、人間性にあこがれ、第3病院外科に入局しました。虫垂炎、肛門疾患、ヘルニア手術を手始めに、上部・下部・肝胆膵領域の内視鏡診断・治療、消化器外科、特に悪性疾患、急性腹症に対する外科治療を全般的に学べる機会を得ました。1985年に第1外科から伊坪喜八郎教授が赴任、臓器別専門診療方針を示され、胃癌診療に携わるようになりました。臨床研究として、胃切除標本を用いた増殖期細胞免疫染色から癌細胞と正常粘膜とを比較し胃癌細胞悪性度を検討、術前化学療法例で増殖度の変化を比較し効果判定の可能性を示し学位を頂きました。その後第3病院外科は第1外科と統合、穴澤貞夫教授にお世話になり、1998年に神奈川県立厚木病院外科部長を拝命し、外科臨床を堪能していました。
 2001年4月より外科学講座統合の方針で旧外科1と2、青戸病院外科が統合され、大講座制となりました。新医局長を選出するにあたり、厚木病院外科部長を担当していた私は医局長選挙など蚊帳の外の出来事であったのですが、軽い気持ちで推薦を受け、立候補したところ選任され、当時は頭を抱えました。厚木病院院長をはじめとするスタッフに非礼を詫び、後任を増渕正隆先生に2年だけお願いと託して本院に異動した次第ですが20年経過してしまいました。
 青木照明、山崎洋次教授退任後、九州大学出身の矢永勝彦先生が消化器外科教授として就任、慈恵に肝移植治療を確立されました。治療困難な肝不全症例を生体肝移植で回復する過程を垣間見ることができました。本院では主に上部消化管治療の診療に携わり、医療安全管理部にも所属し様々な経験を積ませて頂きました。現在大木隆生教授のエネルギッシュなリーダーシップのもと衛藤、池上、大塚教授、外科4頭体制が落ち着きつつあると感じます。外科学講座が強固なスクラムを組み、さらなる発展することを願ってやみません。慈恵に入り、ラグビーと外科に携われたことが心の糧です。光陰矢の如し、定年まで勤めさせて頂いたことに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

top